笑顔

「君といると気楽なんだ」って彼は言ってきたんだ。ずっとそれが引っかかって取れなかった。だから俺は「どういう意味なんだよ?」って聞いた。真剣な顔して聞きたかったけど、いつもみたいにおどけて、笑いながら聞いた。
「僕は友達とどこかに行ったりするけど、その中で、君が一番だってことだよ」
そうか、俺は友達だったな。聞かなきゃよかった。少し期待してた。君が俺のほうを見てくれているんじゃないかって。俺を、特別な目で見てくれているんじゃないかって。でも、それは友達の中の特別で、俺の望んでいた特別じゃなかった。俺は君のただ一人の特別な存在になりたかった。本当に心からそう願っていたし、できる限りのことはやったつもりだ。それも彼には友達としての行動だと思われていたんだろうな…。
だから、「嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」ってまた笑って言ったんだ。彼はちゃんと騙された。彼は気づかなかったはずだ。

そんなことからしばらく経った。俺は自然と彼を目で追っていた。いつも。いつも。そして彼がおかしいことに気づいたんだ。イライラしすぎている。彼は職場では感情を表に出さない。もともとあまり出すタイプじゃないけれど。なんにせよ、珍しいことだった。彼がここまで感情を露わにする場面はあまり多くない。現場の指揮はもちろん別だし、ドーナツも別だ。それ以外で思い浮かぶことなんてなかった。なかったから、彼が心配だった。

《昼一緒に食おうぜ、俺がそっち行くから!》
こうメールしないと彼が断ってくる可能性はほぼ100%になる。《一緒に食おう》だけでは仕事が多すぎて片付かないから、食べたくないと断られてしまう。
《わかった、また連絡する》
彼からの返信はごく短い。いつものことだ。でも彼はいつもと違う。当たり前だけど、俺は彼のすべてを知っているわけじゃない。それは彼もそうだ。それでも、いつもと違う彼が気になってしょうがなかった。

《仕事のきりがいい、そろそろ食べよう》
《今からそっち行くよ、待ってろ:)》
俺は彼を騙すために笑った。彼を知りたくて笑った。彼と会うのが楽しみだから、笑った。

彼と昼ごはんを食べる。この上なく幸せな時間。そして、今回に限っては彼を知るための時間だ。どう切り出すのがいいんだろうか。重苦しくならないように、気楽に、そう気楽に聞くんだ…。
口を開いたのは彼だった。
「なあ、君に話しておこうと思うことがあるんだけど…」
「なんだよ?」
「僕には恋人がいて、」
頭に入らなかった。それからあとは記憶には残ってるけど、聞こえてきた文章を暗記したみたいで、まるで理解できない言語の音声だけ聞いたみたいで、彼の話なんて理解できなくて、「ああ、そうなんだ」「うん」「それは大変だね」
この三つしか言えてなかったと思う。
それだけ衝撃だった。俺は彼の何も知らなかった。彼が俺の好意を知らないように、彼の好意の対象を知らなかった。その対象は俺のすぐ近くにいた。よく知っていた。なのにどうして気づかなかったんだろう。彼らの隠し方がうまいのか、俺が彼にあまりにも盲目的だったってことか…?
「…それでな、ずっと帰ってこなくて、任務中だから仕方がないとわかってても頭をついて離れないんだ…聞いてるのか?」
ああ、うん
「職場では出さないように努めてきたんだけど、結構限界みたいでな。他の奴らにも申し訳なくて」
うん
「これは寂しいってことなのかな?現場のエージェントに持つような感情ではないかもしれないけど」
寂しいのか。
寂しかったのか。
恋人が現場のエージェントで滅多に帰ってこないし、死にかけるやつだから、心配で心配で堪らないのか。
堪らなく心配で、堪らなく寂しかったから、あんなにイライラしてたのか。
知らなきゃよかった。
俺なら、俺なら。寂しくさせないのに、心配させないのに。君をイライラさせるようなこともないのに。
「どうした?さっきからぼーっとしてるぞ?大丈夫か?」
大丈夫じゃないよ。大荒れ。でも。
「途中から惚気話になってたから、気が飛びそうだった!大丈夫、大丈夫、あいつなら絶対帰ってくるって!いつもそうだろ?」
笑って答えると、彼の表情はいくらか和らいでいて、俺はもっと笑ってやった。
俺は彼に最後まで嘘をついてしまった。
そんな自分を笑った。
何も彼に言えなかった自分を笑った。
不甲斐なさを隠すために笑った。
嘘をつくために笑った。
彼のために笑った。